どうせ此の世は偽りばかり

双極性II型+対人恐怖症で引きこもりの「足掻き」徒然

腰を据えて話す大事さ

話す時間を設ける

ツレとの会話

日々、挨拶をして感謝の気持ちを伝えてはいるつもりだが、これは自分が「伝えている」と思っているだけかもしれない。鬱落下からずっと、時間をとって話してない。そう思ったら、ツレと話してみようと思った。

帰ってきたツレに「すわらないか?」と促すと、「何?」と訊かれる。お互い改まると何だが気恥ずかしい。だが、ツレはこんな自分に慣れているので、「ご飯食べたい」といいつつも、座って寛ぎ、話す態勢をとってくれる。

考えてたつもりだったが、特に話題にする事は何もない。ただツレと、落ち着いて2人で話したかっただけという事実に気づく。

「特に何か用がある訳ではないんだが……」

なんて言ってると、ツレから話題を振ってくる。

気づけば話は止まらず盛り上がり、浮き浮きしながら話してる自分。

「流石にお腹すいた。ご飯食べる」

とツレが言い出すまで、話し込んだ。

気分が良い。何だか世界が明るく、気分もさっぱりしている。

何か解決すべき事や話さねばならなかった事があった訳ではない。ただの日々の雑感を話しただけ。それでもツレとの距離が心地良く保たれている事を実感する。

腰を据えて、話す事は大事だと思った。

これから時々は、こうして時間を作って、ツレと話そう。その方が自分の精神健康上も良い。精神の安定にも一役かっている気がする。

母の見舞い

ツレと話して、入院中の母を思った。

そこで、見舞いに行くことにした。4人部屋で楽しくやってると父から聞いてはいたが、それはそれ。文字が少し大きな本を差入れよう、クッキーかなにか普段食べないちょっと高価な焼き菓子を少しだけ持って行こう。

病気だからか、入院で髪を染められないからか、一挙に歳をとった母が居た。

親が年老いていくのを実感するのは、切ない。

自販機で、飲みたいといったココアを買ってやり、共有スペースで向き合った。

年老いた母は特段新しい出来事がある訳でもなく、今まで話したことを再度話すという感じだったが、せっかく久しぶりに会ったのだし、何より見舞いだ。母の話したい様に、話させる。基本聞き役。相槌をうち、母へ話を促す。

途中我に返った母が「お見舞い来てくれてありがとう。もう帰っていいよ」というのを笑って流し、 話を向ける。そんなこんなで2時間。腹一杯母に話させて、母も自分も満足して、病院を後にした。やはり気持ちが清々しい。時々はこうして、母の昔話を聞くのは悪くない。お互いの関係性の上でも大事だろう。

そんな事を思った。

本日の落ち処

腰を据えて、話す時間を持つ事は、大事だ。

お互いの関係を良好に保つ為、自分の精神状態を上向き・安定させる効果がある。

人と落ち着いて話す事を忘れた訳ではないが、せずにいたここ最近。

人とのコミュニケーションを考える出来事だった。

たまには時間をとって、腰を据えて話をしよう。

「それでさ……」「ふむふむ」と、2匹で話している猫
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8時間睡眠時の睡眠グラフ
昨晩は、ベルソムラ割るのが面倒臭くて、半錠の⒎5mg飲んだ。寝過ぎはなくよかった。その他に、デジレルセロクエル・ルネスタ3mgを服用。

加味逍遥散料は朝晩2服、白虎加人参湯は毎食前3服。ドグマチールは午前ヨガ後に100mg、夕方に50mg。

                (薬の自己調整許可あり)

              2019(平成31)年6月2日(日)