アルコールについて
酒が飲めるのは、主治医からの信頼のおかげ
昨日、アルコール摂取について書いたので
(『アルコール摂取と現実逃避』 )
序でに「なぜ、主治医がアルコール摂取を問題視していないか」についてまとめてみる。
問題視されない理由
- 「アルコールで薬を飲む」事をしない
- 希死念慮が全くない
- 症状が悪い時には飲まない
- アルコールで過去に問題を起こした事がない
- 身体的に問題がない
- アルコールに強い
重要と思われる順にあげてみた。
大体こんな感じかと思う。
個別に考察してみる。
①「アルコールで薬を飲む」事をしない
ブーストをかける為にアルコールで薬を飲む知人もいる。
アルコールで薬の効果が強く出る事を企図せず、アルコールで服薬する人もいる。母がそうだ。別に「ワインで薬を飲んだって、何も変わらない」と危険性も罪悪感も全く感じずやってしまうパターン。実は結構多いのではないかとの印象がある。
親しさの度合によるが、「酒で薬を飲むのは辞めた方がよい」とその事を知ったら、一応口を挟む。
自分は周囲にこうした人がいるし、薬効が強く出た人にも接した事があるのだが、何故か「アルコールで薬を飲む」という発想がわかない。
胃袋がアルコールでちゃぷちゃぷしている状態で服用を避ける為、服用時間をずらす。まあ血中アルコール濃度が高いので、気分の問題なのだが。
主治医に「アルコール摂取後、2時間半」と一度言われたので、それを守っている。
②希死念慮が全くない
アルコールに限らず薬もそうだし、診療全般に言える事だが「コイツは自殺しない」と思われる事は、信頼される鍵だろう。信頼されてるから、自由に酒を飲んでいる。
③症状が悪い時には飲まない
鬱であれ軽躁であれ、自分は症状が悪い時は酒を飲まない。「悪いから飲まない」と思考するのでなく、生理的に受付ない。
先ず飲む気が全く無くなる→飲んでも不味い→生理的に受け付けなくなる
こんな感じ。
今回の大鬱で例を挙げる。
家族がペットボトルに白ワインだか日本酒だかを入れて、冷蔵庫で冷やしていた。お茶だと思って口をつけた途端、吐き出した。意識的にではなく、喉が嚥下を拒否したという感じだ。大鬱で、嗅覚も味覚もない。生理的に身体が全く受付ないのだ。ボトルをよく見れば、マジックで「酒」と書いてあり、げんなりした。「やっぱり状態悪い時はアルコールダメなんだ」と再確認もした。
だから逆に、快復しつつある事の指標になったりもする。勿論、飲まずに済めば、それに越したことはない。
④⑥アルコールで過去に問題を起こした事がない アルコールに強い
顔に出ない。態度も変わらない。酩酊しない。二日酔いも経験ない。記憶を飛ばした事もない。嘔吐すらない。ただ夜中に口が乾くのと、トイレが近い事だけ。
酔える人が羨ましい。
⑤身体的に問題がない
薬の副作用等の確認も兼ねて、2、3ヶ月毎に血液検査と年一回の人間ドッグが課せられている。アルコール系の問題は無し。
自己認識と主治医との信頼関係
診察の際、睡眠状況や状態を話す時に、飲酒についても「ありのまま」を開示する。「アルコールに関わる事」は重要と認識しているからだ。
自分がこれだけアルコールを飲む事を、開示される主治医の気持ちはどんなものだろう?入院中ですら飲酒し、その事を聞いた当時の主治医は困惑しただろうか?
「アルコールを制限すると余計なプレッシャーを与える」からあえて触れない医者もいるそうだが、自分の主治医達はそうではないと思っている。
逆に、自分から「アルコールも話しておくべきこと」と認識している事で、信頼を得ている部分もあるかもしれない。
いずれにせよ、主治医からの信頼無しには大っぴらに酒を飲めない。
医師の信頼があるから、酒が飲める
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毎朝、健康的な睡眠とは程遠い睡眠グラフを見て笑ってしまう。
8時半に起きようとも思ったが、その後深い眠りに入っているから、起きれなくと当然と思えばいいのか、起きたらそんな事は無かったのか……
ルネスタ2mg、ベルソムラ1/3錠で、明日の診察に臨もう。
(薬の自己調整許可あり)
2019(平成31)年1月16日(水)
☆☆☆ 追記 ☆☆☆
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