スーパー救急
スーパーでないスーパー救急
スーパー救急
自分は、入院治療の効果が得られない。
それは、複数回の入院後の経過を観て思うことでもあるし、最後に入院した病院が酷かったせいでもある。
直近の入院は、「スーパー救急制度」を利用しての入院だった。
自分の行っている精神科には入院施設がない。しかも冬眠症中ですぐに入院となった。そこで翌日に入院出来る病院ということで、スーパー救急対応の病院が選ばれた。県内にスーパー救急対応病院は3病院しかない。その中でも自分が入院した病院は、「精神科といえばそこ」と言われる程に有名だ。
強制入院ではないが、実態は強制的入院だ。入院しないと『傷病手当金申請書』に記入しないと主治医に脅迫されたのだ。これを脅迫と言わずになんと言う。この頃は主治医との関係は最悪だった。
家族が呼び出され、翌日朝8時が入院先の指定時間だった。
だが、実際に診察室に通されたのは10時近く。入院手続きが終わったのは昼過ぎ。どこがスーパー救急だ。自分も家族も手続きが終わった時にはぐったりした。当然昼食時間は終わっており、自分は後からパンをもらって個室で食べた。
酷いから有名なのか
施設自体は綺麗だし、設備も整っているし、環境も良い。ただ担当医が最低だった。
薬の副作用で夜中に七転八倒する発作を起こしたのに、回診に来ない。いくら看護士に頼んでも、3日来なかった。しかも薬は減らされていない。だから服薬を拒否した。困った看護士が担当医に再三伝えたらしいが、来ない。
家族に電話で「転院したい」と訴えた。
今でこそ、「すぐ転院させとけばよかった」と家族は言うが、当時は入院した直後だった事もあり、請け合ってくれなかった。任意入院の意味を考えもした。
妄想持ちの患者から、暴力を振るわれそうになった時、自衛したら保護室監禁だと言われ憤慨した。なんで黙って殴られなあかんのだ。閉鎖病棟で逃げ場はない。とにかく担当医に対する不信感が強まるばかり。治療に専念どころか、ストレス多すぎて精神の波がグラグラだ。
これには看護士達が何とか担当医に意見してくれ、開放病棟に転棟になり、暴力から逃れる事が出来た。
まぁ、一番の医療不信はこの医者だ。だが他にも体制やシステムといった医療関係者の対応が酷かった。退院の日にとうとうブチギレたぐらいだ。
飲みもしない抗不安剤を大量に処方され、退院し、翌日行きつけの主治医の所へ行った(入院させた医者)。入院中の担当医からの診断書?(経過報告書)を前に、主治医と二人途方にくれたのは記憶に新しい。
主治医との信頼構築
その入院をきっかけに、主治医と今の信頼関係を築く様になったから、荒療治みたいなものかもしれないが、もう二度と入院はしたくない。家族も懲りて、つい先日「もう入院はしないで」と言われた。
本日の落ち処
スーパー救急の意味がわからない。
県内3つしかないスーパー救急制度病院だと言われれば、腕がいい、安心出来ると思う人が多いのではないだろうか?
受け入れ体制が十分でないなら、スーパー救急病院をやめたほうが、患者のためだ。
なんだか、入院の時を思い出したので、ついでに書きとめてみた。
入院はもう勘弁。自分でコントロールして、双極の波乗りしていくしかない。
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明日の仕事が不安。日を間違えているのではないかと、朝から落ち着かない。8ヶ月ぶりだしな。軽躁にならなければいいが、少し脳は興奮するだろう。仕事にアレロックと白虎加人参湯を持って行こう。
ドグマチールはヨガ後100mg、夕方50mg。加味逍遥散料は朝晩2服、白虎加人参湯は食前3服。夕食後にデジレル25mg。
就寝前はセロクエル・ルネスタ3mg・ベルソムラ7.5mg・吸引。
今夜は8時半に寝よう。
(薬の自己調整許可あり)
2019(平成31)年5月20日(月)
△32分24秒