「いいね」の意味 ブログ運営
「いいね」をつける意味
読まずに「いいね」をつけられた
昨夜、誤ってタイトル・本文共に何もない白紙ブログをUPしてしまった。
記事をUPした後、白紙ブログに気づき、削除しようとしたら、はてなスターがついていた。
この人々は、自分のブログを全く読んでいない。本文どころかタイトルすらないのだ。これは一体どういうスターなのだろうか?
ミスを「励まし」てくれる意味でのスターなのか?
他の記事を読んで、それにつけようとしての誤りなのか?
「バカじゃん」と面白がってのスターなのか?
スター返しを狙っての、読まずのスターなのか?
何にせよ、自分の記事を読んでいない事は明白。つけられた気持ちは微妙
放置ブログへのいいね
その一方、2年前から放置しているブログに、やはり昨日、「いいね」がついた。フォローもブックマークもされた。
2年前から更新しなくなったブログは、もはや「見知らぬ他人」だ。
ブックマークやフォローされて、有難くも気恥ずかしいし、どうすればよいのか悩む。
もう2年前の様な文体では書けないし、書く内容も思いつかない。
フォローしてもらったから、更新すべきかと思ったり、更新出来ない申し訳なさもある。
此方もやはり微妙な気分。
「いいね」の意味
大きく2つの意味がある。
- 「いいね」返し
- 読者獲得の為の「いいね」
①「いいね」返し
「いいね返し」というマナーがあるそうで、それが当たり前なら、自分は礼儀知らずだ。
しかしスタンスは変えられない。そういう人間でないから仕方がない。
自分は単なる「いいね返し」はしない。
つけて下さった方がブログを持っていれば、訪問して読みはする。
自分のブログをどんな人が読むのか、興味があるからだ。
そして、「いいね」をつける。
自分の「いいね」の意味は、「成る程、読んだ」という意思表示。
読まずに機械的に「いいね」をつける事はない。
されてびっくりする事が多い。
「何故にこの人が俺のブログに「いいね」したのだ?」
と悩む。
自分のブログに何がしかのモノを感じたりしたのでなく、ぽつんと機械的につく「いいね」。自分が、ブログサーフィンで「いいね」をつけた相手だと、気づくのに2、3日掛かる事すらある。
②読者獲得の為の「いいね」
「いいね返し」の修正を利用した、自己PR。
自分のブログを読んでもらう為に「いいね」をつけるらしいが、自分はそういう習性は無いので、理解出来ない。
ご苦労な事だが、虱潰しにズラリといいねをつけて行くのだそうで、当然読んでる暇などない。これは「お返しいいね」を期待しての、読者獲得戦略。
否定はしないが、自分には解らぬ思考行動だ。
「いいね」ボタンの無いブログ
ブログが重くて表示されなったり、最初からいいね系のボタンが設置されてないブログもある。
「すげ~分かる」「凄いぞ」と此方の気持ちを伝えたいブログに限って、いいねボタンが無い。
コメントでは何と書いていいのか分からないので、スルーした感じになり、後ろ髪引かれる。
つける人の「スタンス」の現れ
結局、いいねをつけるという行為は、ブログをやっている人の「ブログ運営のスタンス」の現れだ。
読み専の人は、読み専のスタンスが「いいね」に表現される。
「いいね」一つ、考察するのも、中々奥深く面白い。
因みに、自分は昔から雑読。
何でも読む。来るもの拒まず。
どんなジャンルでも読むし、ブログ主達は皆、何がしかを表現しているのだと、敬意を持っている。
本日の落ち処
中途半端な記事になったが、読まずに「いいね」をつけて貰ったお陰で、「いいね」を考える機会を得た。
「いいね」一つとっても、そこにスタンスが現れる。
もちろん「いいね」がつくと、凡人の自分は嬉しい。
今回わかった事一つ。
自分は機会的な「いいね」はつけれない
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3日連続早朝覚醒で、流石に辛い。明日の診察で相談しなければ。
昨日仕事行ったせいか、日中何すればよいか分からずやや不安を感ず。やっぱりドグマチール外せない。
加味逍遥散料朝晩2服。白虎加人参湯は3服。一応反応してないから、効果を感じ、有難い。デジレル・セロクエル・ルネスタ・吸引を就寝直前に。
(薬の自己調整許可あり)
2019(平31)年3月6日(水)