躁うつの闇 うつ病と双極性障害
双極性障害の絶望感
双極性障害になった友人
5年程、うつ病の治療を続けてきた友人が、「躁うつ病になったから、趣味をやめる」と言ってきた。
「あぁ、双極性障害だったんだ」と思うと同時に「何で双極性障害だと、何もかもやめなきゃならんのだ?」と思う。その一方、全てを放り投げたくなる程の絶望感も分かる。
うつ病と診断され、大学病院で入院までした友人。
退院後も、職場復帰は叶わず、家事専門として暮らしていた。
そんな友人は、唯一の外界との接点として、気持ちの落ち着け所として、趣味の世界を大切にしていた。
双極性障害とうつ病については、此方が絵入りで分かり易い↓↓↓
『双極性障害とは - 原因、症状、治療方法などの解説 | すまいるナビゲーター』
双極性障害への誤解
「二面性がある」と思う人もいる。
多重人格的な、ジキルとハイド氏みたいな印象を持つ人は一定数いる。
「躁」と「鬱」という対極を感じさせるネーミングからか、「双極」という、これまた二つあると思わせる単語が使われているからか、受ける誤解と偏見。
自分も家族から「二重人格」と勘違いされ、余計に傷つき苦労した経験がある。
そもそも、今の医者は「躁うつ病」とは言わない。2013年のDSM-5への改定以来、「双極性障害」と患者に伝えられる。その説明として「躁うつ病」と言われたかもしれないが、友人の「躁うつ病」の言い方が気になる。自嘲・揶揄の陰をも匂わせる。
気分の波の上がり下がりなど、誰にもある。それが生活に支障をきたすほどになってしまった病気と、認識が拡がればよいのだが。
双極性障害の悩み
双極性障害ならではの「救われなさ」は、実際ある。
うつ病は、勿論重度で難性のものがあるのは承知だが、基本的に治る。双極性障害は寛解する人もいるが、一生躁と鬱の両極の間を行ったり来たり、循環・彷徨い続ける。
躁になれば、次に確実に来る「鬱」に怯え、鬱では辛い。鬱が回復し出せば、「躁」を恐れる。この絶望。命を絶つ人が多いのも頷ける。
服薬の難しさ
薬は生涯飲み続けなければならない。
気分安定薬と言っても、躁と鬱の振れ幅を狭めるだけで、鬱や躁になるのを防ぐ力は無い。
加えて、抗うつ薬は躁転を招く。そうは言っても鬱は重く辛い。故に微妙で慎重な投薬管理が求められる。
抗うつ薬は急速交代型も招くので、医者にしっかり自分の状態を伝えなくてはならないし、医者も知識と人間性が求められる。
相性良く、腕の良い医者に巡り会うのもなかなか難しい。転院などを繰り返し、漸く安心出来る医者に会えたと思ったら、今度は医者が転勤したり、高齢になったりで、診察を受けれなくなったりもする。
単に「この薬飲んでいればOK」ではない所も、双極性障害の辛さか。
人生を放り出す
一生を脳に心に振り回され、服薬調整に振り回される終わりのなさに、人生投げ出したくなる気持ちはよく分かる。
自己否定と自虐に塗れ、ヤケになったり、思わず放り出したり。
だが、生きていくのだ。
辛いだけの重く暗い人生より、躁と鬱の波乗りしながら、少しでも、安らげる時間が欲しい。
だから友人には、落ち着いたら、考えてみて欲しい。
今はショックで、何も聞けない状態だろうから。仕事ではないのだ。趣味の世界まで自分から捨てて、失くす必要はない。趣味を持っていた方が、安らぐ事だってある。人生の彩りも増える。
本日の落ち処
双極性障害は、最初に「うつ病」と診断される事は多い。鬱状態での受診が多いから、理解出来る。
うつ病と信じて治療を続け、結果「双極性障害」と改められ、気持ちの持っていきようがないのかもしれない。
双極性障害の悩みは確かに深い。
だからこそ、気を紛らわせたり、落ち着けたり、社会と接点保つ為にも、趣味をやめる事はない。
落ち着いたら、疾病を受入られたら、人生、良い方を目指して歩いて行こうぜ
双極性障害だって、癒される時間を持っていいじゃないか。
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半年振りに、半日だけだが仕事に行き、身体と脳が興奮状態。
加味逍遥散料朝晩2服。白虎加人参湯は3服。デジレル・セロクエル・ルネスタを就寝直前に服薬。昨晩呼吸が苦しくなったので、忘れず吸引。
(薬の自己調整許可あり)
2019(平31)年3月5日(火)
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