腹痛・頭痛への恐怖
理由が分からないが故に不安になる
自分は腹痛・頭痛に弱い。
普段殆ど経験しないので、「死ぬのではないか」と思うほどだ。
「首を傾けただけでも頭が痛む」という偏頭痛持ちの知人からすると噴飯ものらしいが、自分にとっては生命の危機を感じる程に重大事態なのだ。
昨夜、寝がけにその「腹痛」に襲われた。
別に便秘でも下痢でも無い。何か食った物が悪かったかと考えるも、魚は古くも無く、しっかり焼けていたし、大食いしたわけでも無い。生ものも食べてもいないし、何か昨日と違う事をした覚えもない。
腹を抱えて布団の中に丸まりながら、「折角昨日上手くいったのと同じ量、眠剤飲んだのに、これじゃあ意味ないではないか」とか「寝れなくて、また不眠悪化?」とか「なんで腹痛て~んだよ。どうしたら治るだよ」とか、頭の中で延々愚痴る。
「不治の病だったりするのか?」
と変に不安に駆られてくる。
「トイレに行くと治る」と聞くので、3回ほどトイレにも行ってみる。便意も全く無く、益々絶望してくる。
「正露丸飲めばいいのか?いや、家に常備してないし」
「腹、温ってめればいいのか?」
とラッパの音のするCMや、藤井フミヤが「Mother‘s touch」とか言っていたCMなんかが浮かんでくる。
腹痛と眠剤の闘いは、データを見るに1時間半程で、有難いことに眠剤の勝利に終わった。
目覚めれば、腹は痛くない。
だが原因が分からない分、腹痛への不安感は強まる。
痛みに効くのならば、「痛み止め」を飲めばよいのだろうか?
だが「理由不明」による不安は解決しない。
切った指が痛いとか、ぶつけたから痛いとか、火傷で痛いとか……
聞いた話だが、頭痛は原因がよく解っていないらしい。
原因が分からないのに、薬で痛みをブロックして、感じないだけで実は頭や腹は痛いままだなんて、余計に怖くて自分は痛み止めが飲めない。
女性の月のものや癌患者のライフクオリティを高めるためなど、原因が解っているものは問題ない。
「痛い」のは警告サインだろう。「異常がある」と知らせてくるのに、痛みを強制的に遮断して、益々悪化したらどうする?
かと言って、痛くもない今、腹を診せに病院に行く気もしない。
痛みに弱い訳ではない。見えない不安に弱いのだ。
点滴にしろ血液採取にしろ、自分は針が刺されるのを凝視する。
「怖くないですか?」と訊かれるが、見ていない方が怖くて痛い。
だから、尻や脊髄注射の方が見えない分、痛い。
妙に白い骨を剝きだす脚を縫った時も、再生手術で指が着かずに包帯と共に剥がれ落ちる時も、「観る」ことを制止する看護士に力で逆らってでも見た。
「観察」とは注意深く見て、その事象を把握しようとすることだ。
だから、自分は眼を背けない。注視する。
解かれる包帯と共に、再生手術した指と骨が赤黒い血と肉の混じった色をしながら剥がれ落ちていく時は、思い返しても息を飲む程劇痛だったし、スプラッタな光景だった。押さえてくる看護士も目を背けていた。
「だから見ない方が」と看護士は言ったが、自分は見てよかったと思っている。きっと見ていなかったら、痛みに声を上げていたし、耐えられなかった。
不安は恐怖を連れて来る。
見えないことは不安を煽る。
だから、自分は頭痛・腹痛が怖い。
理由が分からない、見えないことは、不安を増長させる
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久々に遅い就寝予定に今から緊張する。
明日の午前は予定無いのでベルソムラ2/3錠・ルネスタ2mg服用。今日から加味逍遥散料は無しにしてみる。
(薬の自己調整許可あり)
2019(平成31)年1月9日(水)