「三浦雄一郎氏 86歳の挑戦」に感じること
強靭過ぎる人のパワーは精弱の身には毒
三浦雄一郎氏が、86歳にして2019年明けすぐに南米最高峰登頂を目指すとTVのニュース番組で見た。
「目標達成しようという強い気持ちが若さの秘訣」
みたいなことを言っており、なんだかげんなりというか、引くわけではないし冷たい視線でみるとも違う。「生暖かい目で見る」という心境か。
断っておくが、自分は三浦雄一郎氏は好きだ。
30年以上前の三浦雄一郎氏の「スキー教本」は今だに書棚にあるし、それこそ当時は彼のスキービデオを冬は毎晩のように見ていた。
彼の「直滑降チャレンジ」にエールを送ったし、その後の彼の様々なチャレンジを好意的にみてきたつもりだ。
某健康補助食品?のCMも別に嫌でも皮肉にみることもない。三浦氏を上手く使っていると思っている。
だが「精神の強さが若さを保つ」みたいな事を聞いて、共感や納得、称賛出来る人は精神が健康な人だろう。
三浦氏のインタビューを観ていると、心が沈下し、体の皮膚さえ灼け爛れていくような感覚を覚えてしまう自分は、彼とは人種や世界どころか次元が二層も三層も違う異生体だ。
強靭過ぎる人のパワーに耐えられない。
それどころか、その光に照射されて焼け衰えてしまう。
太陽は大地の恵みだ。
全ての生物がその恩恵を受けている。
だが植物ですら「葉焼け」を起こし、枯れることすらある。
人間も過度な「日焼け」は火傷だ。水疱・痛み・発熱等起こす事すらあるし「紫外線過敏症」という疾病すらある。
『北風と太陽』の話だって、1番手が北風で力を発揮し過ぎた後に太陽が北風の失敗に訓を得て、柔らかな光に留めておいたために、勝利したにすぎない。
強すぎる力とは害でもあるのだ。
精神疾患者の挫折談として
「前向きな職場についていけなかった」
「あまりに周囲が明るくて疲弊した」
という事も結構耳にする。
「引き比べて自分を過小評価してしまう」
こともある。
強い精神の人々が、精神的に敏感で脆い人々を下に見るとかそういう訳ではない。
どれだけ話そうとも、話せば話す程「違う世界に生きているのだ」という事実に気づくだけだ。
そして気づくのは弱い人間の方だ。
強者というものは「弱いとはどういうことか」分からない事が多い。
精神のことに限らず。
頭の良い人が、「なんで分からないか」という事が分からないように。
三浦氏が言うように
「攻める強い気持ちを持った健康法が老化を防ぐ」
のであれば、強い気持ちを持てない自分は長くは生きられない。
何だか「お前何で生きているのだ?」
と問われてる気すらする。
今、自分は三浦雄一郎氏の記事に接することには耐えられない。
今の自分にとって三浦雄一郎氏は、接する事が出来ない程危険だ。
それ位、症状が悪いということだろう。
今が鬱期だからだけでない。軽躁状態の時も強靭な心の持ち主には斜めに構えて接することしかできない。
寛解とまでいかずとも、割と安定していれば流す事が出来る。
平気なのとは違う。対処出来るというだけだ。
彼のニュースは「自分の精神状態の悪さ」を自分に突きつけ、更に奈落に突き落とす。
だから、自分は彼から目を逸らす。
強靭な精神に恵まれた人は、弱っている者にとって害である。
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昨晩ルネスタ1mgでは眠れず、0時に追加した。
それでも直ぐには入眠出来ない。入院中は追加薬はプラチゾラムだった。確か入眠早かった気がする。次の診察で主治医に訊いてみよう。
2018(平成30)年12月31日(月)
今日はやけに空が青い。