一年の行動は元旦にあり
ストレスが大きい事には事前に対応する 確定申告に向けて
年が明けた。
どうせ暖房器具壊れていて寒いし(理由はこちら )
正月だからと特に何かする事もないし、そもそも特別な日という意識すらない。
去年も一昨年も3年前も今と同じ様に大鬱で過ごしたのだから、起きなくても問題ない。
このまま鬱から抜け出せなくて何が悪い、いや悪くない。
なんてアホな事を1時間ぐらい考えた。
昨日家族がお節を用意していたのを思い出す。
去年は自室からも出ずに過ごしたし、5年ぶりに一緒に正月の膳を摘めると楽しみにしていた家族の姿。
多分このまま眠りに入る事は容易いし、鬱期ループをまた廻る予感すらする。
きっと自分は鬱拗らせる。
此処まで上向いてきたこの一週間、「起きるか。。。」と起き上がったのは、発奮する気持ちでなく、諦観からだ。
鬱期は辛い。だが一切誰とも関わらないのは楽だ。何物からも傷付けられない。ただ自分で自分を追いつめるだけ。
鬱期を脱したい気持ちの根底には「鬱は辛い」というのもあるし、「このままどうする」という思いも勿論あるが、自分はどちらかというとそういった気持ちや思い全て「人生諦める」という感じに近い。
そんな感じでなんとか起き上がり、家族と年明けの挨拶を交わした。
自分の家では正月期間は昔の時代のように1日2食だ。
お節をつつけば、あとはする事もなく、何時もよりなんだか時間があり過ぎる様な気すらしてくる。
ただ自分は回復しだした時から正月にする事を決めていた。
「来年のことを言うと鬼が笑う」から心の中だけで決めていた。
正月一日から、確定申告に向けて準備を始める。という事をだ。
正月ぐらいゆっくり何もせずにぐうたら過ごすというのは、日々普通に過ごしている者のことである。
鬱の自分は正月を特別視しないが、やはり鬱なりに精神的に切りが良いのか、兎に角正月には確定申告の準備始める事を胸に、ここまで鬱のダウナーな気分から這い上がってきたのだ。
確定申告は非常に自分に大きなストレスであり、多大なプレッシャーに精神状態は振り回される。病状に響きまくる。
誰もが確定申告は大きな壁だろう。
だがそれが精神疾患に関わってくる自分にはその比が違う。
その年に間に合わなくとも、過年分として申告する事は出来る。
だが2年分もの関係書類の保管は荷が大きい。
見ても分からないものも多いだろうし、何より還付金をあてにしている生活費がままならない。
「自分の様に状態の悪い人々は、一体どうしているのだろう?」
と何時も考える。
先ず「申告」というアクションを起こさなければ、自立支援にしろ、障害者手帳にしろ、障害年金にしろ、住民税の軽減等々、何も受けられない。
そういう社会の制度だから「受けよう」と思うなら「行動する」事は必須だ。
自分の病状が悪化するのが分かっているのならば、それを避ける様に行動するしかない。
だから「正月から準備開始」なのだ。
取り敢えず、1日2時間。効率悪い方法であっても、頭が回わらないのだから、どんなに手際が悪くても淡々と処理する。
先ずは何も考えずにマシーンになれる事だけ行う。
考えていては前に進めない。だって鬱なのだ。
「淡々、淡々……」
言い聞かせつつ手を動かす。
今日のところは成功だ。
地味なセッションだろうが、目標が低かろうが「何もしない」よりは大きく前に進んでいる。
どんな小さな事でもいい。出来ない時はしなくてもいい。
ダメージ受けると分かっていることには、対策を取れる時にとっておくのが重要だ。
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昨晩ルネスタ2mgで入眠は良かった。ただ毎晩2mgは手持ちで保たない。その時はベルソムラの増薬にするか。とりあえずはルネスタ2mgにベルソムラ半錠でいこう。
次の診察で主治医に自己調整分について訊いてみよう。
2019(平成31)年1月1日(火)
今日はいつもの冬の空