どうせ此の世は偽りばかり

双極性II型+対人恐怖症で引きこもりの「足掻き」徒然

人生「生きづらい」と思ってしまったら、生きて行けない

「生き易く」はないが「生き辛い」とも思わない

 

親に今年も正月に帰ることも、親戚廻りすることも出来ないと連絡した。

去年もこの時期は大鬱だったし、その前の2年は入院中だったので、5年前以来帰省出来ていない。

「精神状態が悪い」と知ると、とてつもなく不安がらせるので「歩行困難になったから」と伝えた。

普通「歩行困難になる」ということの方が大事な気がするが、個人的には「精神病」という方が世間一般には忌避すべき事のような扱いを受ける気がする。

ただ「歩行困難になる」とだけ伝えて、無闇に不安がらせるのは本意ではないので「病院にも行っており、毎日医師の指導の元リハビリしているし、改善の見込みがある。年明け直ぐに更に検査予定なので、結果が分かり次第連絡する」

と7割の真実に3割の嘘をまぜて懐柔する。

そう、自分は親にすら「偽りの自分」を演じている

 

すると母が言った。

あんたも色々、人生生きずらいね

 

母は「鬱病」と診断されて40年、1度も寛解する事なく延々鬱の世界で生きている。

※自分は母は「鬱病」ではなく「双極性2型」と思っているし、自分の主治医に意見を訊いたら「そうだと思う」と言われた。だが、母も「自分は鬱病だ」と信じているし、専門家である主治医の診断に外野が口を挟むことは控えるべきだと何も言わない。勿論鬱病双極性障害では治療方針も薬も異なることは重々承知の上だ。この事については、いつか書こうと思っている。

 

父によれば母の状態も良くないらしい。

大体母はお盆と正月に症状が悪化する。

それは同居していた際に、舅姑・小姑に激烈に苛められたため、別居してからも

「お盆と正月は行かなければならない」とプレッシャーに感じてたからだそうだ。

還暦頃に父から「もう顔出さずによい」と言われ、20年経過しても未だに捕われている母は不憫だし、1度精神を病んだ者の回復が如何に厳しいかを目の当たりにしている。

 

そんな母は今「人生は生きづらい」と感じる程「鬱」なのだろう。

そして「精神疾患者は「生きずらい」」という表現をよく聞く。

 

だが、母のその言葉を聞いた自分には違和感があった。

 

確かに「生き易く」は決してない。

仕事も退職を余儀無くし、その後の仕事も病の波に飲まれて挫折し、この10月には新たな派遣契約先も失った。

生活費を稼ぐのもままならない。

貯金もなく、金銭的にも逼迫している。

社会にも適合出来ず、何処をとってもよい所は見当たらず、不安で暗い未来しかない。

だけど違うと心が訴える。

「生き辛い」と定義してしまったら、これから自分はどうすればよいのか?

何の為に死んでいないのか?

どうして鬱から脱したいと思うのか?

辛いのに死んではいけないのは何故なのか?

 

そんな辛いと決める人生、歩んでいける程強くない。

そんな強さがあるなら、そもそも精神病んだりしていない。

 

「生き辛い」と思ったら、此処で歩みを止めるしかない。

人生は「淡々と生きて行く」しかないのだから。

 

だから自分は「生き辛い」と考えずに淡々と生きていけるようにとだけ願っている。

 

「生き易くない」が「生き辛い」と定義はしない。

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最近不眠が続いているので、今晩はベルソムラ1錠にするかルネスタ2mgにするかどちらが良いだろうか?

ベルソムラは過眠に繋がりやすいから、半錠のままでルネスタにするとして、最初から2mgにするか、1mg服薬して寝れなかったらついかするか?

もう少し考えてみる。

(薬の自己調整許可あり)

        2018(平成30)年12月29日(土)