「人工透析中止で患者が死亡」のニュースに思う事
死への認識
人工透析中止で死亡のニュース
このニュースに際し、思う事がある。
本人の意思で透析中止を決定。その後家族や看護師立会いの元、再度説明・説得。それで本人が承諾書にサインしたというなら、何故ニュースに取り上げられるのか?
日本は尊厳死などの議論がなかなか進まないから、ニュースになるのか?
家族も承知の上での意思なのだろう?
精神疾患者が、医者や家族の説得をきかず自死したら、ニュースになるか?
同じ事と考えるのは、自分が精神疾患者だから、周辺で自死を経験しているからだろうか……
一生続く治療
一生医療措置を受け続けなければならない疾患は結構ある。それを再認識出来た事は良かった。
透析は時間かかり、仕事や日常生活はかなり制約される。
勤めていた会社は、透析が必要な職員は短時間勤務制度の選択が可能だった。
上司は毎日職場でインシュリンを打っていた。耳の不自由な職員もいたし、全身麻痺(疾病名は知らない)で喋れない管理職も居た。
一生何がしかの治療が必要な疾病は、世の中に沢山ある。
双極性障害だけではない。
状態が悪いと、どうしても「自分の病気が1番辛い」と思いがちだ。今回のニュースは、辛いの疾病は数多ある事を忘れていた自分を気づかせた。
治療中止の選択
どんな疾病も、治療中止の選択があってよい。
周囲に迷惑をかけなければ。
自分の事もそうだ。
通院をやめてもよいのだ。服薬やめてもよいのだ。家族に迷惑がかからなければ。社会に迷惑をかけなければ。
人工透は辛いだろう。やめる選択はあってよい。ただ、病気になると精神も弱る。精神科医が介入出来るシステムが、あった方がよい。透析の説明は専門医が行い、患者が自棄になったり不安で揺れる際に精神科医が診る。
治療の効果を上げる為、患者を支える為に、長期治療が必須の疾病は、精神科医と連携するとよい。
精神科医の診察を受け、冷静な判断力を持って、治療中止を選択する。その後、死に向かっていく日々も、何らかの医療が苦しさ辛さを軽減させるとよい。
治療中止は自殺の一種
治療中止は自殺の一種だ。安易な選択は防ぐべきだろう。
自棄になっての自殺、絶望しての自殺、発作的な自殺……
治療中止とは「自分はどう生きていくのか」の一言に尽きる。
何処まで医者は責任を持たなくてはならないのか?
社会はもっと議論した方がよい。
既に始まっている高齢化社会。今後こうした事例は多くなるだろう。
「自分はどう在りたいのか?どう生きたいのか?」
人は常に考え、自分自身に問い続けなければならない。
本日の落ち処
治療継続が長期に渡り、辛いものもある。患者は選択の権利を持つ。
ただし、安易な選択を防ぐ為に、医療は身体精神両面からサポートが必要。
治療中止は自殺の一種。
死の意味を問う事は、生き方を問う事。
死を認識して、今日を生きる
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朝から息苦しい。起床後すぐ吸引。当分朝晩吸引した方がよいな。
昨晩もルネスタ1mg追加。最初から2mgにするかと思ったり、そしたら結局3mg投薬になると渋ったり。当面1mgのママにする。
ドグマチールは15時に50mg。
久し振りに麦門冬湯1服。加味逍遥散料は朝晩2服。白虎加人参湯は昼夜2服。アレロック。
(薬の自己調整許可あり)
2019(平31)年3月9日(土)