猫に看病されるしあわせ
猫がいるから、生きている
ベッドに横になって、ボーっとしていると、猫達が看病してくれる。
キジシロは足元で丸まり、ハチワレは布団に潜り、龜寝子の冷たい足先を包む様に丸まる。ミケは脇あたりの布団に入って、頭をちょこんと龜寝子の腕に乗せて、ゴロゴロと喉を鳴らしている。
喉を鳴らすのは、訴えている
猫が喉を鳴らすのは、甘えているというよりも、母猫に何か訴えているのだそうだ。声をあげて鳴くと、敵に見つかってしまうから、目立たない様に喉を鳴らし、要求する。
猫の声は耳障りではないが、「音を立てない様に」気遣ってくれていると思うと嬉しい。
ミケは我が家の三猫の中で1番小さいが、ゴロゴロ音は驚く程の大音量だ。
大音量で、何かを訴えているのだと思うと、可愛い。
「トイレ掃除して」とか、「お水が減ったから入れて」とか、「寒いから暖房入れて」とか、「寝てないで、自分を撫でて」とか……
「ボーっつと生きてんじゃねーよ!」と自分を追い立てたり、逃げ場を無くさせたりはしない。
あくまで優しく、可愛らしく。
「龜寝子が、今月は病院に連れて行ってくれるんじゃないの?」とも問われている気がして、「そうだ。鬱を嘆いてばかりもいられない」と起き上がった。
猫に生かされる
ミケは先天性疾患があり、2ヶ月毎に動物病院で注射を打たないといけない。6匹だった兄弟猫は、生後半年で2匹になり、元気に生きているのはミケだけだ。
ハチワレは、胃袋以下大腸に至るまで機能していない。三途の河岸まで行ったことがあり、呼びかけに応えて戻ってきてくれた。
キジシロも「1歳まで生きられない」と獣医に見放される程、虚弱体質の子だ。
この子達が天寿で虹の橋へ行くまで、自分は死ねない。
猫がいるから、自分は生きている。猫の為に精神科に通う。治療を続ける。
猫の看病の仕方
猫が具合の悪い飼主を覗いたり、側にいるのは「心配して」ではなく、普段と違う様子に「注意」して「観察」しているのだそうだ。
それでは、余りに味気ないので、やっぱり猫飼いとしては、「看病してくれている」と思いたい。
延々寝ている自分が起きると、ハチワレとミケも飛び起きて、我先に足に絡みついき、ニャオミャオと大声で話しかけてくる。トイレだけだったり、水分補給だけだったりして戻ると、がっかりした様子すら見せる。それでもまた、自分を見捨てる事無く、布団に潜り込んでくる。
1番龜寝子の鬱状態に慣れているキジシロは、「これはトイレだけだ」と分かる様で、首を起こして、様子を伺うだけだ。部屋に戻ってくると「ほら、やっぱり」という表情で、また寝る体制に入る。それでも注意深く、こちらを注視する表情が、心配そうで「看病されている幸せ」を感じて、心が温かくも申し訳なくもなる。
自らも闘病している猫たちに、看病されて、倒錯しているが「幸せ」だ。
猫達が元気で長生きします様に。彼等の最期は自分が看取るから
鬱の自分は、今日も猫に看病されている。
猫がいるから自分は逝かない。生きていく
昨日夜に葉書投函しておいてよかった。また延びる所だった。
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デジレル飲み出した途端、鬱悪化……
明日診察にしといて良かった。
起きて直ぐに白虎加人参湯と加味逍遥散料を服用。
アローゼンが珍しく効かない。連続服用は避けたいのだが、どうするか。
(薬の自己調整許可あり)
2019(平成31)年1月30日(水)