どうせ此の世は偽りばかり

双極性II型+対人恐怖症で引きこもりの「足掻き」徒然

自分で身体を触る重要性

ふれてみて はじめてわかる 己のからだ

発熱すらも 触れられないと 自分ではわからない(昔読んだ漫画の台詞。また読みたいが、タイトルも著者も覚えていない……)

「手を当てる」ことは治療の基本

昨日、1週間振りに入浴し、4ヶ月振りに体を洗った。

大鬱突入して、入浴する迄2ヶ月。更に体を洗う迄2ヶ月。いやよくやったというか、よく出来たとか、ようやくここまで回復したかとか、色々感無量だ。

シャワーは嫌いだし、タオルで体を拭く事もない。入浴というのは、文字通り「湯船に入るだけ」で、脂ぎって異臭を放つ髪だけを湯船に浸かったまま洗っていた。

昨日は「ドラッドヘアの人って洗髪どうしてるんだろう?」などと考えていたら、湯船を出て石鹸を泡立てていた。「あれ?」なんて思いつつ、考えると体を洗うのを止めそうだから「何事もない」様なフリを自分にしてみせながら、そのままタオルで体を擦った。

あかたろう』のお爺さんはこんなだったのだろうか?そもそも「垢で作った子供」が大活躍する話って、考えるだに設定が凄い。お爺さんとお婆さんは「超ものぐさ」となっている。それが垢を落とした事で子供に恵まれ、金銀財宝にも恵まれ幸せな余生を過ごすのだ。古来から、昔話が出来る程に、鬱症状の人はかなり居て、彼等の快復を促す為にあんな物語が創られたのだろうか?


【フルカラー】「日本の昔ばなし」 力太郎【電子書籍】[ 本多敏行 ]

あかたろうは「力太郎」というタイトルになっているが多い。理解出来る気もする……

自分の体の声を聞く

4ヶ月振りに洗った脚は、見ても触ってもすべすべとして、血色も良い。昨夜寝つきが良かったのは、体を洗ったおかげではないのか?と思ったりもする。

「手当て」とは、治療行為だ。字面を観ると「手を当てる」。手を当てないと、絆創膏も貼れないし、冷えピタも貼れない。聴診器もそうだし、「触診」は立派な基本的な医療行為でもある。

発熱した際も、確認行為として自分の額に手を当てる。手を当てないと、熱があるかも定かではない。腹が痛ければ、自然と手で腹を押さえる

自分でのツボ押しは、悪い所に手が自然といくのだそうだ。触っていると「ここだ!」という場所がわかるらしい。

鬱だったり、何らかの精神疾患で自分の身の回りの事が出来ないというのは、「体の声を聞く」能力が衰弱しているせいかもしれない。

手を当てる効果

4ヶ月誰にも触られていない身体にとって、タオルで擦られる事は大変な刺激だっただろう。身体の血流は良くなっただろうし、無意識にツボも押されたかもしれない。

肌がすべすべ美しく?なるのも納得だ。

触覚も五感に入る程、大事で大きな刺激だ。触る、触られる。そのことによって生じる快・不快。

マッサージは正しくこれだろうし、「Mother’s touch」も典型だろう。咳込む背中を摩るのも「咳が収まる」事を期待して為される。

「温かさ」も重要なポイントだ。それに「人肌の温もり」を人は求めるという。

痛い腹の上に置かれた手の温もりで、症状も緩和するだろうし、安心感が得られる。

これが冷たい機械か何かだったらそうはいかない。発熱した身体には気持ちよいかもしれないが。熱すぎるのも、安らぎには遠い。

「手を当てる」行為は、自然治癒力の1つであるのかもしれない

手当とは自分の身体の状態を知り、治療する1つの方法である

f:id:kameneko9:20190123164222j:plain
といって、自分がこれから毎日入浴し、洗体するかは別問題(-_-;)

◇◇◇    ◇◇◇   ◇◇◇   ◇◇◇   ◇◇

f:id:kameneko9:20190123164219j:plain
昨夜は最初からベルソムラ1/2錠にした。自律訓練法しなかったが、入眠は良くて助かった。ただ寝すぎ……今夜は1/3錠にするか?

        (薬の自己調整許可あり)

         2019(平成31)年1月23日(水)

今夜は立待月