どうせ此の世は偽りばかり

双極性II型+対人恐怖症で引きこもりの「足掻き」徒然

快復の道は行ったり来たり、つづら折り

逆戻り 何故か下りもある道を 無心で登る 他に術無し

 

快復は、上への一直線でないから難しい

 

今日は鬱だ。

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データを観ると、朝方から覚醒と微睡を彷徨っているのが分かる。

完全な鬱状態のデータを取ってないから何とも言えないが、今朝の「鬱」を正に表していると思う。

昨晩から寒気が入ってきたからか?

外の世界へ出て1週間、疲れが出たか?

年賀状の差出人をチラ見して、怯えたからか?

暖房が無いからか?

要因になりそうなものを、一つ一つ数え上げる。

 

客観的に、自分の行動や周囲の事象を捉える努力は、大きな効力がある

「何に自分は弱いのか」知る事は、今に活かせずとも未来(さき)で精神状態が脆弱になって「ヤバそう」な時に避けたり、予防線を張ったり出来るからだ。

それに「何でなったか分からない」より、ハッキリとした方が余計な不安を生じずに済む

 

それでは、どうする?

このまま、鬱々と布団の中で過ごすか?

風呂にただ浸かるだけは出来そうだから、風呂に入ろうかと思ったが、今の壊れた風呂ではリラックスどころか、いつ水になるのか?家族はその間どう過ごすのか?

と思えば風呂へ入って鬱を軽減する方策は取れない。(理由はこちら

取り敢えず「猫達の自分を起こそうとする努力」を無碍にしない様、起床はする。

10時45分。

飯どうするか?

そもそも食べる意味が分からない。

ああヤバイ。

三大基本欲求すら欠けたら、また大鬱へ急降下だ

 

「好きであるはず」のうどんを作る。

ぬるいし、硬麺好きの自分でも硬すぎる麺。

四半世紀以上この疾病と付き合っている自分は「こんなうどんしか作れなかった自分」に嘆いたりしない。

鬱なんだからこんなもの。作れただけでもめっけもの。どうせ味も感じないのだから、食べるだけで良しとする。

香を焚いてみる。

高かったらしい、カフェオレを淹れてみる。

普通なら手で開けられるパッケージが破れない。

そんな事も別に落ち込んだりしない。だって鬱だ。

 

美味しいらしいカフェオレの味が分からない。

コーヒーを淹れてみる。

昨日は「明日はモップ掛けをしよう」と思っていたが、実行出来そうにない。

ヨガ?あゝ無理無理。

 

動いてみれば出来るとか、気分が上向くのは「精神疾患としての鬱」ではない。

その程度の鬱なら問題ない。

もちろん、治療や回復の過程で出来たことを、きちんと評価する事は重要だ。

今はそれとは違うのだ。

上手く他人に説明できないが、     あゝ頭が回らない。

 

今日はこのまま何も出来ずに、ただ座っているか、布団に潜り込むか。

そうなる前に、記録としてブログを書いておく。

このブログも治療の一環だしな。

 

つづら折りは「九十九折」とも書くそうだ。

九十九回折れ曲がる。九十九とは「沢山」の比喩だろう。しかも登り降りもあるそうだ。

何てぴったりな表現だ。

 

精神疾患の快復の道は、登るばかりの一本道ではない。悪化したり、留まったり。右へ行ったり左を見たり。

ただ淡々と行くしかない。

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昨夜はベルソムラ2/3錠服薬したが、寒気が来たお陰で「猫大集合」になってしまい、布団を取られたせいで決して良くない睡眠環境だった。寝返りどころか、毛布も引っ張れない状況でも猫を何とかしようとは思わせない所が猫の凄いところだ。

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今夜はどうする?ベルソムラ1錠はこの状況では怖過ぎる。やはり2/3錠でいくか。              

                    (薬の自己調整許可あり)

            2019(平成31)年1月5日(土)