鬱を脱する為の家族ルール
一人ではない 一人では
家族とともに 歩み出す
闘病は一人ではない
今日、大鬱降下4ヶ月半過ぎて、やっと籠に溜まった洗濯物が空になった。
これは大きな記念すべき日だ。
家族の洗濯物ではない。自分のだけだ。
鬱中の自分の洗濯物は、どんなに溜まっても家族はしない。そういうルール。
家族もつらい
我が家では、自分が鬱の時、発動されるルールがある。
「自分の事は自分でする」のと違い、鬱から脱する為の工夫だ。
鬱で辛いのは自分自身であるし、鬱から脱するのは自分でしかない。
だが家族だって辛いし、切ない思いをしている。猫すらストレスを感じている。
それに、鬱への家族の理解は治療に欠かせない。
家族に見守られて、手を携え、背を押されて精神疾患者は快復・安定するのだ。
治療の一環
鬱期の極度な対人恐怖症や引きこもりから、少しずつ行動範囲を広げていく治療プログラムと言ったところか。
行動活性化療法でもあるし、認知行動療法の一環のつもりだ。
このルールは四半世紀超える疾病歴を持つ自分が、症状悪化を何度も繰返す中で、少しずつ出来た「長年の知恵」だ。
双極性障害は、躁と鬱の無限ループの中で生きていかなくてはならない。
その前提の下、鬱の改善・鬱状態の把握・社会復帰へのリハビリを目的にしている。
鬱のどの段階から、この家族ルールが発動されるかというと、自分で「鬱へ落下中か?」と気づいた時だったり、家族が少しでも「怪しい」と感じた時に、双方どちらからでも発動される。どちらかが発動したら、異議は唱えず従う。
軽い時もあれば、大鬱の時もある。
家族からの発動の場合は、「自覚がないが、側から観るとそうなのか」と気づきに繋がり、幾ばくか心構えが出来る。
自分から発動の場合は、家族が「覚悟する事(時間)が出来る」と言ったところか。
小さな事でも「あれ?もしかして?」と思えば発動するので、軽い鬱で短期間に回復する事もある。
回復中も油断はせずに、常にモニターする事が大事だ。
主治医に「〇〇が出来て、残り△△だ」と、行動を具体的に伝えるのにも役立っている。
鬱期の家族ルール
- 洗濯籠を別に用意して、自分で洗濯するまで溜めておく
- 自分宛ての郵便物・家に入るチラシなどを溜めておく
- 仕事関係先へ家族から連絡しない
- 食事の作り置きはしない
-
自分宛の荷物を受取らない
- 自分宛の留守番電話を消さない
- 自室の掃除・自分関係のゴミ出しはしない(②の記事に記載)
- 自分の買物・仕事関係先へ、物を取りに行ったりしない(⑤の記事に記載)
- 猫の世話担当にする
- トイレットペーパーの補充をしない
- 家事担当にする(軽減してきたら)
こんなところか。
思い出したら追記する。
詳細について
個々の詳細については、追ってブログ記事を書く。
以前『睡眠について』シリーズを書いたし、今も『鬱からの脱脚』を書いているが、書くつもりだったことを忘れる。
それと、ブログ自体は「日々の記録」がメインなので、シリーズ途中でその日の印象に残った事を優先して書く為、何を何処まで書いたか忘れる。
その防止策に、この記事を目次の様にして、自分で確認しながら書いていきたい。「やる事リスト」みたいなものか。
詳細を書いたら、この記事にブログを貼っていくので、何を書いて何を書いてないか分かるし。
という事で、詳細は後日改めて。
欠点
この家族ルール、鬱歴40年の母(別居)には評判が悪い。というか、益々悪化させるという。
汚い部屋で汚い服のままいたら、余計悪化するというのだ。その上食事も自分で用意しないといけないから、健康からどんどん遠去かる。
家族も積まれた洗濯物や郵便物、ゴミでストレスが溜まる。
全くもって、その通り。
異論はない。他人にも勧めない。
だが、そこをあえてルールとして決め、家族一丸で取り組むのだ。
家族は綺麗好きだし、マメだし優しいから、世話をした方が楽だし気持ち良いに決まっている。そこを自分の鬱にあわせて協力してくれるのだ。
家族への感謝しか無い。
本日の落ち処
先に書く事柄を記しておく。目次は大事。
この先、まだまだ色々症状も変化し、ルールも改変するだろう。
家族の協力あっての治療だ。
それに、鬱は自分の中に閉じこもってしまいがちだが、家族だって辛いのだ。
闘病しているのは自分一人ではない
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快眠度100%となっているが、何処がやねん!!!
寝た気が全くしないんすけど!!やっぱり実際とは乖離してるなぁ。
今日も早昼・夕の2食。
食前に加味逍遥散料・白虎加人参湯。就寝前にルネスタ・セロクエル・デジレル
吸引忘れず。
(薬の自己調整許可あり)
2019(平成31)年2月20日(水)