どうせ此の世は偽りばかり

双極性II型+対人恐怖症で引きこもりの「足掻き」徒然

入浴は外界への第一歩だ

1週間ぶりに風呂に入った。

 

自分は風呂が好きだ。

普段なら平均1時間弱入浴する。

温泉などへ行けば2時間は入っている。

それぐらい好きだ。

 だが鬱期になるとこれがぴたっと入らなくなる。

 

うつ状態の特徴として以下の2点がよく挙げられる

1 身だしなみを整えるのが面倒臭い

2 好きなことができない、楽しめない

 

自分の場合、まさしくこの2点共に当てはまるからだろう。

また、一般的にも入浴しないことは

1  悪臭等により人との関わりなどが断たれる。

2 精神衛生的にも外に出る気力などなくなる

といったことから精神病へつながるとも言われている。

 

ただ自分の知っている範囲では逆に

日に3、4回入ったり

4、5時間も入ったりと明らかに異常な入浴過多になる患者もいる。

 

どちらにしても入浴と精神状態は精神疾患者には密接に関係があるとみている。

 

まあとにかく、家族ですら「臭い」と感じ、またそう思言われていると感じることが負担で接触を自ら断つ程だ。

特定多数の人々からの視線や反応に晒される家の外には出れる筈もない。

 


鬱だから身の回りのことが出来ない

                      +

鬱だから好きである「入浴」ができない

(要因が2つあるのでよりハードルが高い)

                  ↓↓↓

            外出が出来ない

                     ↓

出来ない事への嫌悪感、無力感

                     ↓

         余計に引きこもる

                    ↓

        さらに鬱が悪化する

 

 

 

これが自分の鬱期悪循環である。

なので今日、風呂に入れたということは

自分にとって大きなベンチマーク(指標)なのだ。

 


鬱期から脱却するのには精神状態の健康な人からすると

取るに足らない、本当に些細な「こんなこと?」と言われそうなことが結構重要で大きな一歩だと思う。

ただ、患者自身がこの「些細な変化」自体に気づかなかったり、評価しないことが大きいと主治医が言っていた。

自分でこの「大事なきっかけ」に気づけると回復は早いのだそうだ。

 


そんなこんなで、今日の入浴は鬱期脱却・外の世界への重要な足掛かりである。

 


「風呂に入れた」と言っても、湯槽から出ることなく、浴槽の中でタオルで身体を擦り、洗髪洗顔も風呂の中ではあるが完璧は最初からは求めては行けない。

今日の入浴はこれでいいのだ。

 


それでも小一時間は風呂に入っていた。

まだまだリラックス出来る状態でないが、これで良いのだと自分に言い聞かせている。

 

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入浴は外界への第一歩だ

 

◇◇◇      ◇◇◇   ◇◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇◇  

 


昨晩は誤ってセロクエル3錠飲んでしまった。

また、副作用で夜中にもがき苦しむかとも思ったが、100mg服用期間も3週間近くになるので、増服にもしかしたら耐えられるかと思ってそのまま飲み込んだ。

150mgから始める人も多いと主治医から聞いていたのもあったし、処方は

150mgだったが飲んでみて副作用が出たので100mgに控えていたからである。もちろん主治医には減薬することの是非は連絡している。

自分勝手に薬を調整することは治療の妨げでしかない。

 


150mgのお陰で入浴できたと考え、今晩も同量服薬するか、昨日までの100mgにするか、現段階では悩ましい。