季節を感じる
風の音にぞおどろかねる
鬱でも季節は感じる
「鬱は季節を気づかない」という偏見
入院中、見舞いに来た親と院内敷地を歩いている時、木の花の蕾に気づいた。それを指差し「もう春だな」と言うと、「季節を感じられる様になって安心した」と言われた。
これはおかしい。自分は鬱だろうが軽躁だろうが、木々や草花の変化は見て取れるし、通る際に街路樹はよく見ている。
春の蕾、初夏の新緑、夏の深く濃い色彩、色づく秋、冬枯れ……
春だとか、冬だとか、十分感じるし、もの思う。
鬱歴40年の母は、鬱がひどい時は季節を感じていないのだろうか?
本やネット情報でも「季節を感じない・気づかない」と言う記述をたまに見る。
自分の症状しか知らないので、それに違和感を覚える。季節変化を感じない人が多いのだろうか?
風の音、光
完全に引きこもり、只管寝て過ごす日々では、窓の外の風の音に季節を感じる。
「台風が来ているな」「春の嵐だな」「風の音が冬だな」
風の音は、とても多弁に季節を語る。
また、閉め切ったカーテンの隙間から覗く空の色や、光にも季節を知る。
空の色も雄弁だ。光は時間も教えてくれるが、季節も伝えてくる。
色彩への敏感さ
前の主治医が「双極性障害の人は、繊細で色彩感覚が敏感」と言っていた。
小さく綺麗な物を愛でる。だから芸術に優れた人が多い。
残念ながら自分はその才に恵まれなかったが、主治医のその言葉は自分を肯定してくれている様で、嬉しかった。
入院中は窓から射し込む光が屈折具合が作る小さな虹を見つけたり、窓から見える木蓮の花をじっと観ていた。
夕焼の空に切なくなって、歌を歌ったりもした(個室だから出来た事)。
繊細さの弊害
繊細で敏感だから、躁鬱の波にのまれてしまうのかもしれない。
些細な事に一々気づき、感じるから揺れるのかもしれない。
敏感さは対自然だけでなく、対人にも発揮される。
相手の言動だけでなく、自分の発した言葉にすらあとあと考え込んでしまう。
これは自分だけでないらしい。
繊細な脳は、反応しすぎて疲弊しているのかもしれない。
繊細で敏感な事は、生きづらさも産むということか。
本日の落ち処
季節感の話のつもりが、なんだか「生きづらさ」にまでなり、重くなってしまった。
鬱であっても軽躁状態でも、季節の移ろいは感じる。自然の変化に気づく。
風の音・空の色・光は雄弁に季節を語ってくる。
双極性障害は感性が豊かで敏感で繊細。
繊細が故に、双極(気分)の波に振り回される。
敏感である事は、諸刃の剣だ。
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ベルソムラ7.5mgで過眠がないので、当分これで行こうと思う。ルネスタも減らさずに。
ドグマチールはもう少し安定してから減らそうという事になり、朝100mg夕50mg。
加味逍遥散料・白虎加人参湯は食前2服。夕食後にデジレル25mg。
(薬の自己調整許可あり)
2019(平成31)年5月11日(土)
△24分52秒