顔を洗う 鬱からの脱脚3ヶ月後
毎日顔洗う様になりたい
未だに毎日顔洗わない。
昨年9月末に大鬱突入して以来5ヶ月経つと、鬱の症状として洗えないのか、ズボラな性格だからかが自分でも分からなくなる。
だが、9月迄は毎朝起きたら洗っていたし、休日も洗顔していた事を思い返し、
「鬱だから。怠惰な性格だからじゃねえよ」
と自分で自分を慰めるというか、安心させている。
洗顔は障壁
鬱引きこもりから外出するにあたって、外出する事が最優先事項なので、洗顔はせずに、とにかく病院へ行ったり、買物へ行ったりする。
洗顔は結構な障壁なのだ。
鬱の特徴として、「身だしなみを整えない」事があげられる。
洗顔は、基本中の基本だが、これが出来ない。
逆に、女性の場合は、洗い過ぎてしまう・化粧に時間が掛かり過ぎるというのもある。
まぁ、「顔についての手間かけ具合」という事で表裏だと考えている。
洗顔する事に拘っていると、それに疲れて・嫌気がさして、外出自体やめてしまうので、「行く事が大事」で、洗顔は3ヶ月経っても未だに出来ていない。
洗顔出来ないのを放置する理由
どうせマスクするし、顔は見せない。
診察でも外さないから後回しにして問題ない。
寧ろ、医者にとって
「身嗜みをどの程度出来ているか」
はチェック事項だから、
「自分の回復具合」を端的に現していると思っている。
加えて、「洗顔出来ない」事に自己嫌悪があるから、大丈夫だと考えている。
これが「洗顔しなくても問題なし」と思う様なら、そうはいかない。鬱状態の判断材料では無く、単に「性格の問題」になってしまうからだ。
「まだ洗顔出来ない鬱状態」と認識しているから、無理してまではしない。
洗顔出来ない理由
大きく二つの理由がある。
- 気力が湧かない
- 鏡を見るのが嫌
①気力が湧かない
面倒臭いのとは違う。自分の身の回りの世話をする気力がない。
自分への関心が無い・薄い。
鬱ならではの特徴。
②鏡を見るのが嫌
鏡に映る自分に耐えられない。
どんよりした生気のない顔を見たくない。そこに映る自分の今の姿を見ると、自己嫌悪で余計に鬱が悪化する。
鏡は、顔だけでなく、心象風景まで映し出してしまうので怖い。
今の自分は①より②だ。ありのままの自分に相対するのが怖いのだ。
下を向いて洗顔すればいいと言っても、チラリと視界の隅に横切るのですら、不安を煽ってくるのだ。家の洗面台は一面鏡だし……。
入浴が嫌な理由も、鏡に映る自分の姿を見る事が嫌なのだな。
書いていて気づいた。
鏡に映る「自分が鬱である」事が、周りへの申し訳なさとか、自己嫌悪・自己否定諸々連れ立って、迫め寄せてきて、それに耐えられない。
洗顔の効果
「顔洗ってシャキッとする」
「顔を洗って、目を覚ましてこい」
とはよく聞く。
洗顔すれば、さっぱり感がある。これは何も肌の衛生面だけではない。気分もさっぱり・すっきり感は感じる。
過度の病的な眠気でなければ、「目が覚める」と云う感覚も分からなくもない。
また、顔にはツボが無数あり、顔を洗う事で刺激される。ツボの刺激は脳への刺激だ。
これは、鬱の精神状態を上げる事にも繋がる。
洗顔の効果を肌で、脳で、心で感じられたら、少しずつ鬱の泥沼から岸へと歩いて行ける。
やっぱり顔は洗わんとな。
本日の落ち処
今年もPM2.5アレルギーが発症したから、必然的に頻繁に洗顔しなくてはならない。顔に付着した汚染物質を取るために、薬を塗るために。
これをきっかけに、洗顔が定着すると良いと思う。
洗顔すると、見た目も内面もすっきりする。精神状態を上げるのに効果あり。
分かっているけど、出来ないのが洗顔。
顔を洗って、鬱脱出
キジシロは泡つけて、顔洗うの好き
(だから無添加石鹸)
石鹸を泡立てる過程がお気に入りの様なので、固形石鹸を使用。泡が立っていくのに合わせて、テンションが高くなって「ワキワキwww」してるのがわかって可愛い。
猫優先って……( ̄▽ ̄;)
口に入っても、苦くないし、安全!
昨晩は、PM2.5アレルギーで顔の皮膚からジクジク膿やら体液が出た。
最高濃度のステロイド剤で朝は何とか戻った。
白虎加人参湯と加味逍遥散料で、体質改善!
ドグマチールは夕方に50mg。
(薬の自己調整許可あり)
2019(平成31)年3月2(土)
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