児童虐待する親とは
虐待される子供は何処に救いを求めればよいのか
病院待合室で新聞を広げると、社会面に3件も児童虐待関連の記事が掲載されていた。
多過ぎないか!
今の日本社会はおかしく無いか?
『2歳娘に性的虐待疑いで再逮捕 大阪、傷害致死罪で起訴の父親(共同通信) - Yahoo!ニュース』
『親戚の乳児殺害疑い 子守頼まれた28歳男逮捕 沼津署|静岡新聞アットエス』
しつけでなく犯罪である
「お父さんにぼう力を受けています」と小学校のアンケートに答えた小学4年生の女児。亡くなってから、報道されても女児は生き返らない。
そんな直筆の訴えは、女児が生きているうちに、彼女を守る為に公表されるべきだ。父親の人権より、暴力を受ける女児を護るべきだったのだ。
「しつけのため」とは、こういった事件でよく親が言う台詞だが、「しつけ」によって殺人が正当化される訳では決して無い。
動物のしつけでも、暴力は行わない。これは基本だ。
自分はシェパード・ドーベルマン・秋田県・シベリアンハスキー等大型でアグレッシブな犬を飼っていた経験がある。ある程度「力」をみせる必要もあるが、簡単に叩いたりはしない。寧ろ、暴力は信頼を損なう。
「しつけ」という言葉で暴力を正当化するのは、異常だ。彼らこそ「気狂い」だ。
心身を損ねるような「しつけ」は、暴力であり、犯罪以外の何物でもない。
愛情と性的虐待
「愛情かけて育てていた」ら、女児が死亡した(加害者談)。
自分のチンケな性欲を満たす為、「愛した」結果、殺した。これが正解だ。
2歳の子供への性暴力。自分には想像もつかない程の異常さだ。
「愛情」などと、綺麗な言葉で正当化するな!
妻では足りなかったか?
自分の優位を示して、自己満足したかったか?
自分の欲・ストレス発散を子供に向けるな!
子供は逃げ場が無い
乳幼児や2歳の子は、家以外居場所が無い。本来親が守り、世話をし、育てるものだ。
小学4年生でも、家からの自力脱出は不可能だろう。
「友達の家を泊まり歩く」様な芸当は、中学生にならないと厳しいだろう。泊まりに行った先で、善意で家に帰される事だって多いだろうし、渡り歩く術も考えつかないだろう。
家とは、親とは、子供は離れられないのだ。もっと言えば、親は「作らない」という選択肢があるが、子どもは親を選べない。
だからこそ、「作った」ことと「子の拒否権が一切無い」ことから、親の責任は重い。
子の好き嫌いや相性は実際にあるが、だからといって暴力をふるう言い訳には出来ない。
子守とは言え、保護下にある乳児へ対しても、殺す言い訳は無いはずだ。
尊属殺人の重さ
一昔前は「尊属殺人は加重罪」だった。逆バージョンだが、親の子殺しにこれを適用してもよいのではと心情的に思う。
他人では無い。我が子だ。血の繋がりは関係ない。婚姻の際に、子がいる事は織り込み済みだったのだから。
実子でないことは、逃げ言葉にならない。
自分の子でも殺人だ。その認識が薄いのか?
死してしまった子供達の年齢は、子が行った行為で、親が責任を問われる年代だ。親は子に、そして子の成長にも責任を持たなくてはならない。
生殺与奪の権限は、親でさえ許されて無い。
想像力の欠如
父親・子守達を、保護部屋に強制措置で入れることの方が、精神疾患でちょっと現実を見きれない患者を入れるより有用な気がする。拘束もしてもらって。
犯罪者の方が、精神疾患者より、キチガイだ。そういう差別用語は犯罪者の方が使われて妥当だ。
彼らは、「自分が逆の立場になった時」を想像する能力すら欠けている。
脳の不具合とは言わない。精神疾患者とは厳別する為にも。
彼らは異常だ。
彼らこそ「キチガイ」だ。
本日の落ち処
児童虐待のニュースの多さに、日本社会は麻痺していないか?
麻痺して、見逃してよい犯罪では断じて無い!!!
児童虐待はしつけでも愛情表現でも無い、ただの犯罪だ!!!
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ドグマチール半分になった。ベルソムラは無し!
加味逍遥散料も1日1服に半減。白虎加人参湯が今、制限量いっぱい。
(薬の自己調整許可あり)
2019(平成31)年2月7日(木)