真・行・草 日本人の精神
真・行・草
いけばな展
花見に行ったら、知人に華展(1,000円)のチケットを貰い、桜を堪能せずに「いけばな」を観に行った。
母がある流派の教授なので、裏話や実態については割と知っている。
例えばこんな活け方でも
活けた人を知った途端、有り難みを感じるみたいな……
画質が悪くて申し訳ないが、この花、全然よいと思えない。
評価する人は、居るのだろうか?
まぁ誰が活けたかを知ると、途端に賛美されるのだが。
そんな一面を持つ世界でもある。
華展の横で天皇賛美の展覧会をやっており、入口を間違えそうで危なかった。
わざとか?
假屋崎氏も来場するらしく、それでチケットが法外に高い理由に納得した。
ジュニア部門があるせいか、子供の来場者が多いのはよい。
若いうちから、感性を磨いて欲しい。
入口すぐは、天井まで届きそうな、ふた抱えはありそうな大作。
華道なのかフラワーアレンジメントなのか、素人には区別がつかないが、「世界を表現」しているのは伝わってくる。
真・行・草
日本の所謂「道」と名のつくものは「真・行・草」があり、それを理解していれば、ある程度観れる。
自分は少しだけ華道を齧ったが、「真・行・草」に合理性を見、納得した。
絵画に黄金比率があるように、「真・行・草」に活ければ、全くの初心者でもそれなりに整った形と美が顕現出来る。
要はバランス理論なのだが、追求すると精神論に行き着くところが日本人だ。
書道・茶道・礼法にもあるし、広く見れば武術系の道にもある。
草だから簡単ということは全くなく、逆に草が体得出来るのは、行や基本を習得してからでないと難しい。下手が草書を書いたら、全くただの落書きにしかならない。
空間把握の理論でもあり、精神世界の深まり様でもある。
フラワーアレンジメントの理論は知らないが、究極行き着く先は同じなのかもしれないが、受ける印象はかなり違う。
日本人の精神論
「道」はどの世界も「自分との闘い」だと言われる。
柔道や空手・相撲が国際的スポーツになって、お国芸が発揮出来ないのは、闘い方に求道精神を求める結果だろう。
正々堂々とした清々しい闘い方は、観ていて美しいし、ある種の感動を与える。剣道日本一を決める闘いは、張り詰めた空気と精神に、観客も息が出来ない。
柔道の一本勝ちにこだわる姿勢も然り。横綱らしい取組を求めるのも然り。
心技一体。技は心、精神の有り様だ。
字に心が現れる
自分が記録をブログにしたのは、字に精神状態が現れ過ぎて、読み返した際に、共感し過ぎて辛くなるからだ。
9月に鬱に陥って以来、書道は未だ再開出来ていない。
そろそろ字に表れる、自分の精神状態に向き合ってもよい気がするが、悪化の不安から躊躇ってしまう。
鬱の自分は「草」なのか?
自問して、いやいや墨すら摺れていねぇよと自戒する。否定出来ない程、客観的に現れる自分の精神状態にまだ向き合う覚悟がない。
そんな事を、花を観ながら思った。
男性社会
それにしても、来場者も出品者も女性が多いのに、パンフレットに記載される理事は男ばかりだ。これはPTAでも言われる事だが、実態と組織が乖離し過ぎて、一致していない。未だ男性社会の日本という事か。
本日の落ち処
「真・行・草」を意識すれば、誰でもある程度の美を作る事が出来る、合理的なバランス理論だ。
その一方、求道するには深い精神修養が必要だ。
合理性と精神性。
美の追求は、精神世界を深める手段なのかもしれない。
美意識は生き方でもある。
彷徨う自分は、表現する術もなく、道を見失い、戸惑いの中
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1週間ぶりぐらい、起きずにグダグダしていてもいいじゃないかと思う今朝。
仕事遠征するかな。でも交通費も稼げてないしな。収入上がってから、出張再開するかと悩む。取敢えず、先方にメール送ってみる。あ、エイプリルフールだった。冗談と思われるか?
加味逍遥散料は朝晩2服、白虎加人参湯は毎食前3服。夕食前にドグマチール。
(薬の自己調整許可あり)
2019(平成31)年4月1日(月)