宗教と金 葬儀での僧侶へ思う事
宗教と死
宗教は「死をどう捉えるか」という高尚な話ではなく、「葬式は金儲けの場」という世俗的な話。
※人の死を軽く捉えているわけではない。表現が「死を冒涜している」と感じられても、その意図はないのでご了承下され。
葬儀
知人の葬儀に行った。
家族と本当に親しい人達とだけの、こじんまりした通夜と葬儀だった。
参列者は皆、棺に入った故人の顔をゆっくりと拝しながら、思い出話をする。よい別れだった。
故人の枕元には、三毛猫の手作りぬいぐるみが置かれてあり、猫を思って逝くのだなと故人の飼猫の事に思いを馳せた。
読経
そんなよい葬儀だったが、読経はいただけない。
広いホールでもあるまいに、僧侶はマイクをつけて経を読む。
歳だって、40代ではなかろうか。真っ黒な髪に血色の良い顔と、栄養満点の体。
何日か前の彼岸と比較してしまう。
彼岸に、200名は優に入るホールで読経を聴いたのだ。
70代の僧侶はマイクも付けず、朗々とした大音声で経を読んでおり、1番後ろに座る自分にもよく聞こえた。
この差はなんだ。格の違いってヤツか?
自分の声に酔う僧侶
今までそれなりに読経は聴いてきたが、ここまで演色した読経はない。
別に珍しいお経ではない。普段よく聴く、出だしは自分でも覚えている程のメジャーなお経だ。
なんだ、エンターテイメントか?と思う程だ。
しかも、読んでる僧侶は自分の声に酔ってる風でもある。
釈迦に釈迦が書いた経をよみきかせる、といった辛辣なことは言わない。
だが、誰に向かって何の為に経を読んでいるのだ。
カラオケでもしているつもりか?
経だと思わずに、故人と猫の思い出に浸る時間とする事にした。
まぁ、経なんて無くても、死後の世界にはいけるだろうし、遺影の写真はいいものを使ったな、などと別の事を考える。
宗教者の声
僧侶にしろ、神主にしろ、宗教家にとって「声」は大事だ。
源氏物語でも、朗々たる声に有り難みを感じるといった記述がある。自分も「良い声」のお経に成る程と感服した事もあるし、あの声で祝詞あげられたら、神さんでも願いを叶えてやるだろうなと思うこともある。
宗教家は話もする。
話の内容も大事だろうが、やはり「聴き惚れる様な声」を持っているメリットは大きい。
何事も印象が大事だ。
今回の僧侶は、「声」に恵まれないから、こんな演色をつけて経を読んでいるのかと勘繰りたくもなる。
葬儀社への営業
自分は僧侶や神官の知人が多い。
彼等の話は、「宗教」といった特殊な世界の、非常に世俗的な側面を垣間見られて面白い。
そこで、葬儀社への営業は欠かせないという事を知った。
人の死は、宗教にとっては金のネタだ。
死した直後の枕経・通夜・葬儀・その後に続く法事の数々。人の死とは、稼げるのだ。
だから、葬儀社に営業に行く。
すでに檀家なり決まった寺や教会等にお願いすることが普通だろうが、特に付き合っている所がない場合は、葬儀社に任せる事になる。
その時の為に、葬儀社に売込みをかけるのだ。
人の死=金という事だ。
「この僧侶もそうして、この葬儀社と契約してんだなぁ。檀家少ないんか?」
演色読経を聴いていると、下世話な事を思ってしまう。
本日の落ち処
宗教家は声が大事。
あまりにエンターテイメント性の高いお経は有り難みどころか、下世話な事を思ってしまい、よろしくない。
人の死は、宗教にとっては稼げるチャンス。
僧侶の読経より、送る側の人間の気持ちの方が、故人には嬉しい筈だ。
僧侶よ、読経せよ。声を鍛えろ。自分に酔うな。
人の死は、宗教について考えさせる
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セロクエルなくすと、入眠できない感じはしたが、もともと無かったのだと言い聞かせて寝た。
睡眠アプリでは「快眠度99%」だそうだが、実際は寝た気がしない。
呼吸器系の調子が怪しいので、吸引は朝晩2回。
加味逍遥散料は朝晩2服、白虎加人参湯は毎食前3服。
今日は新しく、ヨガスタジオに行ってみた。
(薬の自己調整許可あり)
2019(平成31)年3月28日(木)